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カール・ハウスホーファーという人物

本当に凄い偉業を成し遂げた方なんですね。

ミュンヘンにて出生。1887年バイエルン王国の第一野砲連隊 Prinzregent Luitpold に入営。士官学校、野砲学校を経て陸軍大学の参謀課程を修める。1903年より同陸軍大学にて戦史を教える。1908年から1910年まで、駐日ドイツ大使館付武官として日本に勤務。

1911年から1913年に博士論文「日本の軍事力、世界における地位、将来に関わる考察」を纏め、哲学博士号を取得。第一次世界大戦には西部戦線に従軍し少将に昇進。戦後はミュンヘン大学にて大学教授資格を取得。彼は地政学の創始者の一人である。

1919年に彼は教え子としてルドルフ・ヘスと知り合い、1921年にはヒトラーと出会い、ヒトラーはハウスホーファーの生存圏の理論に興味を覚え、ナチ党の政策に取り入れた:生存圏を有しない民族であるドイツ人は生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない。ナチ党が政権に就いた1933年にはミュンヘン大学の正教授に就任した。

1934年から1937年までドイツ学士院総裁を務め、この間、駐独大使館付武官であった大島浩とも接触してドイツと日本の政治的連携の確立に関与した。1939年にSSが運営するドイツ国籍を有しない国外ドイツ人との連携機関 (de) に籍を置く。しかし、1941年に教え子のルドルフ・ヘスが突如英国に飛んだ後、秘密警察の監視下に入る。彼の息子がヒトラー暗殺計画に関わっていたからである。敗戦後の1946年に妻と心中した。彼はヒトラーの軍事拡張政策に責任ありと見なされており、これを嫌っての自殺らしいが、詳細は不明。服毒した上の切腹自殺であったと言われている。

彼はソビエト連邦とドイツの同盟の主唱者の一人であり、グレゴール・シュトラッサーらナチス左派やエルンスト・ニーキッシュのようなナショナル・ボリシェヴィストの哲学、一部のドイツ共産党幹部までにも大きな影響を与えた。

日本については、日本にヨーロッパにおけるドイツの役割を与えた著作「太平洋の地政学(Geopolitik des pazifischen Ozeans)」を残した。日本滞在中に日本語は勿論、朝鮮語や中国語を修め、広くアジアを旅しヒンズー教や仏教の経典、またアーリア民族が多く住む北インドやイランにも詳しくアジア神秘主義の権威でもあった。一部のナチ党幹部には少なからぬ影響を与えた。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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2007年11月20日 00:02に投稿されたエントリーのページです。

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